静岡の歴史スポットぶらり旅!~浜松城~

こんにちは!静岡トヨペット浜松東若林店の西藤です!
すっかり春となりました!
夜はまだ冷え体調管理が難しい時期ですが、体調崩されたりしておりませんか?
私は重度の花粉症に悩まされております・・・
そんな私ですが父の影響か、幼い頃より歴史が好きでそんな本をよく読んでいました
そこで今回から数回、車で簡単に行ける郷土の史跡をご紹介したいと思います!
第一回は花見の名所でもあり、浜松のシンボル浜松城を取り上げます!(^O^)/

浜松城プロフィール

 
徳川家康(1543~1616)が29歳から17年間本拠地としたことで有名な浜松城。
この城から家康は有名な三方ヶ原の戦いや、姉川の戦い長篠の戦い小牧・長久手の戦いに出陣しています。
江戸時代には譜代大名の城として、城主の多くから江戸幕府の重役を輩出したことで「出世城」とも呼ばれました。

 曳馬城時代

家康入城以前は曳馬城と言う名前で、もっと小規模な城でした。現在の元城町東照宮に曳馬城跡の石碑があります。

築城年はハッキリとしておりませんが15世紀に遠江を支配していた今川貞相(生没年不詳)により築城された、とされます。(諸説あり)
その後、幾人かの城主を経て今川義元(1519~1560)の時代には重臣である飯尾乗連(?~1560)、連龍(?~1566)が城主として治めます。

浜松城へ

桶狭間の戦いの後、家康は今川氏より独立。今川氏は領地である駿河・遠江・三河を西は家康、北は武田信玄(1521~1573)より挟み撃ちにされてしまいます。これにより三河・遠江は家康、
駿河は信玄の領地となります。
今度は大井川を挟んで武田家と対立することになった家康は、武田家からの侵攻に備えるため本拠地を三河・岡崎城から遠江に移すことにします。
当初は天竜川を渡った見付(現在の磐田市)に築城を考えますが、もしも武田家から三河方面に逃げることになった場合、天竜川が邪魔になることを考え、
曳馬城を拡張・改修することにします。
浜松城と言う名前はその際、曳馬が「引く(曳)馬」=敗戦を連想し縁起が悪いということで、昔この近くにあった荘園「浜松荘」に因んで「浜松城(当時は濱松城)」と命名しました。

 家康後、江戸時代

家康は1586年に本拠地を駿府に移動、1590年の関東移封後は豊臣秀吉の重臣・堀尾吉晴(1543~1611)が浜松城に入城します。
天守や現存する野面積みの石垣は堀尾氏城主時代に造られたと言われます。
ちなみに豊臣秀吉はまだ織田信長に仕える前の10代の頃、現浜松市南区にあった頭陀寺城主・松下氏に仕えていましたので、秀吉にとっても浜松は思い出の地ということになります。
 
その後、浜松城は関ケ原の戦いを経て家康が江戸幕府を開いたのち、代々徳川氏に仕えてきた譜代大名の領地となります。
浜松城下は浜松宿として大変栄え、東海道中屈指の規模を持つ宿場町として知られました。
 
江戸時代を通じ最も有名な浜松藩主は天保の改革で知られる老中・水野忠邦(1794~1851)でしょう。老中と言うのは江戸幕府における役職で、実際に国の政務を執る非常に重要な役職です。
天保の改革は失敗に終わりましたが、水野忠邦は浜松藩主から老中まで昇りつめたのでした。

近代以降

その後、明治維新を経て廃城となると城域は民間に払い下げられ宅地化が進みます。そして戦後の1950年に城跡に天守閣が再建され浜松城公園として整備され現在に至ります。
ちなみに若い方にはなじみがありませんが、浜松城公園には1950年から1983年まで動物園がありました(!)
現在の浜松城公園は桜の名所としても親しまれており、約360本の桜が彩ります。
3月21日からは「さくらまつり」が始まりますので、桜を見ながら公園や、園内の日本庭園を散策してはいかがでしょうか?(^^♪
疲れたら同じく園内のスターバックスコーヒーで一休みすれば、きっと充実したひと時になりますよ(*^^*)!
 
浜松城公園
〒430-0946 静岡県浜松市中区元城町100−2
浜松城公園HP(はままつ観光ナビ)
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西藤 亮平

浜松東若林店QA静岡トヨペット株式会社
静岡トヨペット浜松東若林店のクオリティアドバイザー(QA)です! サッカー、野球、ラグビーなどスポーツ観戦と読書(最近の流行はローマ帝国関連)が趣味です!ご来店の際はぜひお声かけください!