伊東店

シェーン カムバーック

シェーンという映画をご存じでしょうか

ジャック・シェーファーの小説をジョージ・スティーブンスが映画化した(1953年)名作ですね。

物語は南北戦争後の西部に暮らす農民一家のもとに、流れ者のガンマン、シェーンがたどり着き、悪代官ならぬ悪徳牧場主ライカー一味と対決するという勧善懲悪物語なのですが、農民一家の妻マリアンがシェーンにどんどん惹かれていくし、息子のジョーイは父親よりシェーンに、なついちまって「親父のジョーの立場はどーなのよ」と初めて観た時(もちろんガキの頃ですよ)には、そっちが気になって物語に集中できなかった記憶があります。

こんにちは、静岡トヨペット伊東店の加藤です。

嫌いなものには一切興味無し、好きな事柄は徹底的に追及するタイプなので、つまらん事をいろいろ知ってます。

今回はこの映画のラストシーンにまつわる「うんちく」です。

ラストシーンに関して

ご存じの方も多いと思いますが、この映画のラストシーンは大変美しく、映像としてはとても秀逸です。

一人のヒーローが弱き者のために悪徳一味をやっつけて、黙ってワイオミングの山に向かい馬で去って行く・・・まさに西部劇における王道ですね。

やがて馬もシェーンも確認できないほどに小さくなって・・・「シェーン カムバーック」・・・ フェードアウト。

そこで映画は終わっています。

「ああ良い映画だった」・・・ で終わりだと思ってました。 普通の人は、みなそう思うはずです。

ところがそうでは無いのです、小さくなっていく馬上のシェーンのシルエット・・・・最後の瞬間シェーンが落馬します。

そしてすぐにフェードアウト。

まとめ

そうです、彼は銃撃戦の際に傷を負い死んでしまうのです。

私は映像では確認しておりませんが、20代の頃に読んだ片岡義男の小説で知った話です、映画評論家の淀川長治さんもそう解説していましたので、間違いないでしょう。

それを知ったうえで映像を観ると結構伏線が・・・

1 バルコニーからショットガンで撃たれた時の演技~「やられた」って顔してます。

2 その後、力無く左腕をずっとぶらぶらさせている。

3 ジョーイのセリフ「血が出てる」。

4 ラストで馬上のシェーンは手綱を右手でとり、左手はぶらぶらと・・・

5 最後に墓地を抜けて山に向かう~死を暗示してるのか?

と、こんな感じです、興味のある方は是非確認してみて下さい。

映画ファンの間では、生死に関して諸説あるようですが、「シェーンの死に、ガンマンの時代の終焉と農民の時代の到来を象徴しているのだ」との説が有力です。

で、若い頃には感じなかった最近の感想。

映画で描かれていた悪徳牧場主も農民も、結局のところ土地をめぐって争っていたわけで、その土地はもともと先住民を追い出した結果手に入れた土地な訳で・・・そこのところはど~なんでしょうね。

おまけ

DVDでは修正されているそうですがビデオでこの映画を観ると、ラストシーンの山のふもとを自動車が走っているのを確認できるそうです(笑)

トヨタのナビはDVD視聴も可能です(一部機種を除く)ので是非。

トヨタのお寺 蓼科山聖光寺と裏ビーナス

こんにちは 静岡トヨペット伊東店の加藤です。今回は私のおすすめドライブコース、二輪車編です。

聖光寺をご存じでしょうか?

トヨタ自動車名誉会長、神谷 正太郎氏により昭和45年に長野県の蓼科に創建された、交通安全を祈願するお寺として知られています。

毎年7月にはトヨタ関連の「お偉いさん」がここに集い、交通安全祈願が行われます。

またその冷涼な立地ゆえ(標高1200メートルの高原にあります)本州で最も遅くソメイヨシノが満開になる場所としても有名です。

ここで購入できる交通安全のお守りを目的に、毎年多くの人が訪れます。

以前ここで大量にお守りを購入して、新車納車時のお客様プレゼントにしたところ、たいそうお喜び頂きました。

当店検査員の浅岡君が、はれて大型二輪デビューしました。しかも今話題のカワサキ製900CCを新車で購入!!

↑絶好調の浅岡君 道の駅朝霧にて

「新車の安全祈願なら蓼科山聖光寺でしょう」という訳で5時起きして蓼科経由、ビーナスラインで美ヶ原高原をめざしました。

出発が6時と遅かったので、三島~富士あたりでは通勤渋滞につかまりチンタラ走りを強要されましたが、朝霧あたりからは貸し切り道路状態、浅岡君絶好調で上九一色の峠を上り甲府へ下ります。

甲府南ICから中央高速に入り、浅岡君ここでも水を得た魚、ブルートゥースでヘルメットに仕込んだスピーカーで音楽を聴きながらスイスイと・・・・う~む最新型のバイクってこんなにも走るのか、でかいだけの私のポンコツとは大違い。

双葉SAにて休憩。

給油して、あまりの高額請求に目を丸くしたりして(私のバイク、ハイオクなんです、燃費悪し)出発、諏訪南ICを目指します。

日本屈指の山岳道路

中央高速をあとにエコーライン、ズームラインと走りビーナスラインに入ります。

ビーナスラインとは八ヶ岳中信高原国定公園の高原地帯を縫うように走る、延長76㎞の観光道路の名称です.

終点で最高地点の美ヶ原高原の標高は1920mにもなります。

その昔2ストローク250ccのRZで来た時には、空気が薄いために燃調が狂い、アイドリング打たなくなって大いに焦ったものです。

キャブレター時代ならではの経験で、今では原付でもあり得ない現象ですね(キャブ車2台まだ持ってますが)。

2002年までは有料道路で、全線走破するにはそれなりの出費が伴いました。

八ヶ岳、富士山、御岳山から南、北、中央アルプスといった雄大なパノラマを臨み、蓼科湖、女神瑚、数多の高山植物が楽しめる快適なドライビングルートなので、皆さんも是非お出かけ下さい。

聖光寺もそんなエリアにあります、こちらは桜の季節が断然おすすめです。

眼下の女神瑚

聖光寺で安全祈願したのち(すみません、写真撮り忘れました)冬はスキーで賑わう車山高原、霧ヶ峰、八島湿原をあとに終点の美ヶ原高原へ。

ここには日本一標高の高い屋外展示型美術館として有名な美ヶ原高原美術館があります。

たまにはこんな素敵な場所で美術鑑賞としゃれこみましょう。

裏ビーナス

さて、今回は時間の制約があったので、ここから折り返して帰路につきましたが、時間が許す方はさらにその先の美ヶ原高原道路、通称「裏ビーナス」まで足を延ばしてみましょう。

美ヶ原の北を松本方面に進み、白樺林を抜けて自然保護センターへの分岐を進むと、とんでもない絶景ロードが現れます。

白樺林はこんな感じです、フィトンチッドでリフレッシュできます(17年くらい前の画像)

秋に初めて訪れた時には、その絶景っぷりに言葉も出ず、しばらく放心状態に陥ったたほどです。

裏ビーナスの草原(15年くらい前の画像)

下界が曇天の早朝を狙って訪れると、運が良ければ雲の上に出てすばらしい雲海に遭遇できます。

雲海はこんな感じ

ただしバイクだと雲を抜ける時どうなるかは、ご想像におまかせします。

まとめ

新緑の春

ニッコウキスゲ満開の夏

燃える紅葉の秋

冬は通行止めです

頂上直下、秋の落合橋付近

夏の霧ヶ峰(10年くらい前の画像)

私の住む伊東市からだと往復しても600キロ、1日たっぷり楽しめます。

四季折々の自然が楽しめる天空の道、ビーナスラインと聖光寺、皆さんも是非訪れてみて下さい。

80年代スクーターの再生 

こんにちは 古いものを再生させるのが大好きな静岡トヨペット伊東店 加藤です。

とりわけ二輪車の再生にはこだわりが有り、モトコンポからBIG1まで再生させた二輪車は数知れず。

今回は過去の画像を整理していたら出てきた、80年代の原付のお話です。

粗大ごみの再生

画像はスズキのハイパースクーター(スズキがそう呼んでます)「ハイ」です。

記憶が確かなら今から35年ほど昔の84~85年製です。

10年ほど前にお客様宅の庭の隅に放置されていたものを偶然発見。

お嬢さんが使っていたそうですが、ハンドルロックがかかった状態でキー紛失、雨ざらし放置期間20年と少し、走行700キロ。

年式なりに相当熟成(笑)がすすんでいましたが、女性が使っていた車両ならエンジンの焼き付き(2ストですから)は無かろうと登録の抹消と引き換えにもらっちゃいました。

レストアと登録

キーシリンダーをばらして合い鍵作成、古いガソリンを抜いて洗浄(タンクがポリ製で助かりました)、キャブは当然全バラ清掃、バッテリーレスキットを組み込みバッテリーレス化~と、だいたいこんなところで比較的構造の単純な2ストエンジンは再始動するはずなのですがいくらキックしてもエンジンに火が入りません。

マフラーに手をかざしてキックするも排気圧が来ません~なるほど、そういう事ね。

田舎ではよくある事ですが、どうやら土蜂がマフラー内に巣を作り、内部構造を塞いでしまっていたようです。

こんな時には焚火をおこします、そして火中にはずしたマフラーを投入、作られた巣を2ストオイルの残りもろとも燃やしてしまうと、抜けも良くなり一石二鳥です。

めでたく再始動した「ハイ」ですが、忘れていけないのが、ブレーキの整備と燈火類の確認です。

つづいて自賠責保険に加入し、ナンバーを発行してもらったら完成です。

ほんとにハイパースクーターでした

晴れて公道デビューと相成ったハイですが、その走りは車重の軽さと相まってまさに強烈、現在の4ストスクーターとは別物でした。

70キロ以上ある最近の4ストスクーター4.5馬力に対して、約50キロ、6.5馬力、体感的には倍以上の力を感じます。

調子に乗って全開かますとフロントが浮いて超危険。

85年当時は排気ガスの規制なんて無いし、馬力の規制も今より甘く、なによりもスクーターレースの盛り上がりも手伝って、各メーカーが本気の2ストスクーターを沢山リリースしてくれました、そんななかの1台です、遅いはずがありません。

そうDJ-1が出てくる少し前の時代で、イブPAX-Sとかいろいろありました、そういえば家内用のPAX-Sのプーリーとウエイトローラーにいたずらして怒られたっけなあ ああ懐かしい。

その手軽さから、私のコンビニスペシャルとしてよく働いてくれたハイですが、数年前ごみステーションに向かった帰りにエンジン停止。

電装系のご臨終でした。

まとめ

コンビニにたむろしている原付のにいちゃんに、一泡吹かせるのが無上の喜びだったので修理も考えましたが、なじみのバイク屋がエンジンを欲しがったので廃車にして譲りました。

最近ではめったに目にすることの無くなった2ストロークの原付ですが、その楽しさたるや現代の4スト原付の比ではありません、構造も簡単なので少し勉強すればあなたでも再生可能です。

皆さん、まわりを見回してみて下さい。

何処かに古い原付き転がってませんか? 持ち主に掛け合えば、たいてい譲ってもらえます(私、モトコンポを含めて3台もらっちゃってます)

トランポが必要でしたら、静岡トヨペット伊東店の私、加藤にご用命頂ければ納期はかかりますが、ハイエースをご購入頂けます。

ご興味のある方は、退屈しのぎにもなります、是非挑戦してみて下さい。

自転車好きの四方山話「デュラエース」編

こんにちは 「稼ぎは全部趣味」をモットーに日々営業活動に勤しんでる静岡トヨペット伊東店 加藤です。

そんな私の趣味、最も長く続けている趣味は何だ?と考えてみました。

そうなると、やはり自転車ですか、気が付けば40年以上乗ってます。

今回は自転車四方山話、ちょっとマニアックな戯言です。

 

最近、色々な場面で自転車に乗って走っている人をよく見かけますね。

テレビで自転車を趣味にしている芸能人もよく紹介されてます。

自転車にしてもロードバイクやクロスバイク、マウンテンバイクと随分スタイリッシュになり百花繚乱、選択の幅が広がり、とても良い時代になりました。

半面私の好きなランドナーやスポルティーフがほとんど絶滅してしまい、寂しい限りですが・・・

国産パーツの性能も上がり(おそらく世界一でしょう)、誰でも最高性能のマシンを入手できるようになり、今のサイクリストがうらやましいかぎりです。

今回はそんな国産パーツ高性能化の礎となった、シマノのデュラエース(誰も異論は無いはず)についてつらつらと・・・

 

デュラエース(ジュラエース)とは

自転車乗りにおなじみのデュラエースとは、シマノが製造するロードバイク用のコンポーネントの名称です。

1971年にクランクを発表、その後変速機が発売され、ペダル、ハブ、ブレーキと当時はめずらしかったトータルコンポーネントパーツとしてファンを増やしていきました。

かたや今は無きサンツアーからは、マイクロライトコンセプトを引っ提げて、のちのシュパーブシリーズの礎となるサイクロンが登場。

お互い切磋琢磨しながら国産パーツの高級化、高性能化に拍車がかかったものです。

この両雄の登場は、無骨なサンツアー製コンペVやVラクスといったパーツを使っていた貧乏学生の私には、かなり衝撃的な出来事でした。

思い起こせばあの頃はパーツメーカー乱立の時代で、国産パーツはもとより欧州ブランドのユーレー、サンプレ、ゼウスなど選び放題、マシンのカスタムには面白い時代でしたね。

 

さて件のデュラエースですが、発売当時ジュラエースと呼ばれていたのを知る人は、おそらく現在60歳以上、なにしろ最初期にはジュラルミンエース(カッコ悪)なんて呼んでましたからね。

そうなんです、今ではカッコつけてデュラエースなんて呼んでますが、由来はジュラルミンのエースですから、あとデュラビティ(耐久性)の意味合いもこもっていたはずです。

また最初期のリアディレイラーにはCRANE(クレーン)の刻印がほどこされ、ジュラエースの表記がありませんでした(私の知るところでは、ワイヤーアジャスターの有無によりⅠ型~Ⅲ型まであったはずです)。

クレーンと言っても重機のクレーンではありませんよ、鶴の事ですね。

当時のシマノ外装変速機には鳥の名前が付いていました、その名残ですね(スカイラークだとか)。

2型からはデュラエース刻印になりました。

その後数々のモデルチェンジを経て(AXモデルだのワンキーレリーズだの色々あったな)、現在では油圧ブレーキまで展開する世界のブランドとなったわけです。

画像は初期型ジュラエース RD FD ハブ ブレーキ  40年以上昔のジュラエースシリーズ   倉庫からの発掘品

 

自転車用高性能パーツといえば、「ジロの国」イタリアのカンパニョーロ一辺倒だったあの頃、オールカンパ(カンパニョーロフルセット)のロードレーサーが羨望の的で、国産パーツの肩身が狭かったあの頃を知る身としては、まさに下剋上、栄枯盛衰、諸行無常の響き響きありです~日本偉いぞ、大した出世だ。

画像は40年以上昔のイタリア製カンパニョーロヌーボレコードシリーズ RD FD Wレバーおよびチェーンホイール  倉庫からの発掘品

 

さて今ではデュラエースでも難なく買える身分となった私ですが、メインの自転車は70年代のフランス製パーツで組んだスポルティーフです。全くの旧車、高性能とは無縁です。

変速機はユーレーのアルビー(ジュビリーですら無い)だし、ブレーキはマファックの2000、チェーンホイールなんてサンプレックスですから(笑)。

もう1台も70年代のイタリア製パーツで組んだロードレーサー ~ どちらもサドルなんて一枚革のブルックスとイデアル(軽量化に真っ向から挑んでいます)だもんね。

でも旧い物好きだし(ギターもオートバイもカメラも、女房までそうだわ)、今風にウルトラマンみたいな恰好して乗らなくて済むのでこれでいいのだ。

歳を重ねるごとに自転車に求めるものが変わってきたんですね。

 

まとめ

趣味としての楽しみ方は人それぞれ。

でも走れば心肺機能に良いことだらけ、ダイエット効果はもとより、ストレス解消にも効果絶大、血圧も下がるし悪いことは一切無しです.

のぼり坂がきついと躊躇しているあなた、静岡トヨペットでシエンタを買って平地まで自転車を運ぶところから始めましょう。

ご用命はぜひ私、静岡トヨペット伊東店加藤まで。

 

現代人は運動不足、皆さん健康のためどんどん自転車に乗りましょう。

 

 

 

 

成田空港の駐車場事情って?(ハワイの素敵な男のお話も・・・✨)

こんにちは!今回ブログ初登場となります伊東店の加藤隆憲です。

 

いきなりですが、海外旅行に出かけるためには当然のことながら空港に出向く必要がありますね。(船旅は別)

ほとんどの方が鉄道を利用しておられる事と思いますが、最近は鉄道もよく止まることがあるので困りものです。

かく言う私も一度だけ新幹線が止まり、飛行機に乗り遅れそうになった事があります。

それ以来空港には車を使って出向くようにしておりますが、気になるところは駐車場ですよね・・・。

今回は成田空港の駐車場事情と、海外旅行の定番「ハワイ オアフ島」の素敵な男の話をセットでお届けしたいと思います。

目次

  • 成田空港駐車場事情
  • ハワイ オアフ島の素敵な男のお話
  • まとめ

成田空港駐車場事情

成田空港に車で行くときってどうしたらいいんだろう、、、大丈夫、何の心配もありません。。

羽田空港周辺の駐車料金はとても高額になりますが、成田空港周辺の駐車料金は激安で何台でも駐車可能です。

先日もプレミオで6日間(11月7日~11月12日)駐車して3780円、もちろん空港までの送迎付きです。

(私の行きつけの場所ですが、探せばもっと安いところがあるかも)。

オプションで洗車サービスも利用可能です。

人数にもよりますが、私にはこちらのほうが経済的でした、皆さんも一度調べてみては如何でしょうか。

私のおすすめの駐車場については、ぜひ伊東店加藤までお気軽にお声がけくださいね♪(電話でもOKです!)

 

ハワイ オアフ島の素敵な男のお話

 

さて今回はオアフ島に出かけたたわけですが、30年くらい前に読んだ本で紹介されていた素敵な男の話をご紹介したいと思います。

元サーファーの独り言だと思ってご一読ください。

サーフィンの神様としてワイキキビーチに建てられた銅像があまりにも有名なデューク・カハナモク。

今回は彼の名を冠した大会「デューク・カハナモク・インビテーショナル・サーフィン・チャンピオンシップス」で77年に優勝した男の話です。


ハワイには、波の高さが20フィートを超えないと開催されない「クイックシルバー・イン・メモリー・オブ・エディ・アイカウ」という

サーフィンコンテストがあります。

この期間中は「Eddie would Go」(エディなら行くぜ)と書かれたステッカーやTシャツがビーチに氾濫し、合言葉のように皆がその言葉をつぶやきます。

そのエディ、ワイメアベイの初代ライフガードとして活躍し、何百人ものサーファーの命を救ったことで有名です。

何と彼の任期中10年間は、海で死亡した人はゼロ!!

そんなエディですので、ポリネシアンによる民族復興運動の象徴として企画された、古代ポリネシアの航海技術を使い、

ハワイからタヒチまで双胴のカヌー「ホクレア号」で渡るというイベントにクルーとして参加する事となりました

 

悪天候をついて出航したホクレア号ですが、間もなくモロカイ海峡で転覆してしまいます。

カヌーにしがみつきながら衰弱していく仲間15人を救うため、エディはサーフボードを抱え1人ラナイ島を目指しパドリングを始めました。

(嵐のなか、しかも外洋だぜ!)。これが仲間の見たエディの最後の姿でした。

ホクレア号は民間機により奇跡的に発見され、全員が救助されましたが、32歳のエディはついに戻ることはありませんでした。

ワイメアベイでの追悼式にはノースショアへ向かうバスが何台も連なったそうです。

 

まとめ

困難を前に足を踏み出せない時、エディならどうするか考え、あなたも「Eddie would Go」とつぶやいてみましょう。

きっと新しい道が開けることでしょう。

 

 

 

 

老舗店舗でみんな頑張っています!静岡トヨペット伊東店のご紹介

こんにちは 静岡トヨペットU-Car清水の渡辺です。

同じ静岡トヨペットで働いている仲間、伊東店についてご紹介させていただきます。

目次

  • 伊東店ってどこ?
  • メンバー紹介
  • まとめ

 

 

伊東店ってどこにある?

伊東店は、JR伊東駅から車で20分くらいの所で、町からは少し離れたところにあります。

店舗は30年以上の建物で、台風が来ると工場のピットが雨水でプールのようになるようですが、

今年の夏、屋根を修理したそうです!これで雨水も心配なし!!

 

メンバー紹介

店舗で働くメンバーは店長をはじめFC2名(1名産休です)QA5名 SE6名計14名で活動してます。

まとめ

古くなったショールームも無駄なものを置かずお客様に少しでも綺麗に見せるよう工夫するなど、

店舗一丸となって頑張っています!

ぜひ伊東市にお越しの際にはご来店ください(^^)